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人を応援する社労士の仕事に魅力を感じる
私は1995年に、都内では最年少の26歳で開業しました。きっかけは、仙台の建設会社に勤めていたときに現場で労災事故が起きたことです。家族から電話が入る中、会社も弁護士も対応ができなくて、困り果ててしまいました。本社の総務担当が社会保険労務士の先生に電話をしたら、労災申請して、会社と家族の交渉をまとめてくれたのです。会社から信頼され、家族にも喜んでもらえて、「こんなに人々に幸せをもたらす仕事があるのか」と思いました。そこで、会社に勤務しながら25歳で社労士の資格をとったのです。
当時は人事の経験も人脈もなかったため、周囲の先輩社労士からは「その歳で開業は難しい」と言われていました。しかし社労士合格記念パーティで出会った川口義彦先生は、「私も23歳で開業した。やる気があるなら今から事務所に遊びに来ないか」と声をかけてくれたのです。その頃社労士の事務所というと、こじんまりしたビルの一室にあるイメージでした。川口先生はお抱えの外車に乗り、自社ビルまで持っていたことに驚いた覚えがあります。
その後3年間勤務したゼネコンを退職し、日本でトップクラスの大きさを誇る川口先生の事務所でインターンをさせていただきました。開業して数十年経った今でも、先生のお膝元である台東区で活動しています。
応援団で学んだ哲学を行動指針に
弊社は、「修己治人」という言葉を行動指針に掲げています。修己治人の精神というのは、「己を修めて、人を治める」という意味の森信三さんの言葉です。私がこの言葉に出会ったのは、大学の応援団のときでした。日本橋から京都までの道のりを高下駄行脚したり、品川から江ノ島まで68キロをマラソンしたり、やることなすこと考えられないくらい、本当に厳しい部活でした。当時はどうしてそんなに厳しい鍛錬をするのかわかりませんでしたが、あるとき先輩からこう言われたのです。
「人を応援する以上は、自分がその人以上にエネルギーを持っていないといけない。ふにゃふにゃした精神のままで応援されてもうれしくないし、勇気が湧いてこない。相手以上のエネルギーをもって、真摯に向き合っていかなければならない」と。
今でもそのことを振り返って、「人を勇気づけたり、労働福祉について語ったりするには、お客様以上に実践し、感じたことを伝え、一緒になって悩み、寄り添う必要がある」と感じています。お客様すら気づいていないような課題も含めて、会社のさまざまな問題を解決していく。世の中の大きな流れの中で、どう会社が繁栄し、地域が発展していくのかをかんがみ、いっしょになって作り上げていく。そんなことが修己治人という言葉の中で求められているのではないかと思います。
社会の背景
現在の社会では、格差、気候変動を始めとする様々な障害が起こっています。私達の世界は多様という名の下、分断を食い止めることはできません。
米大手広報会社エデルマンが実施した信頼度調査(2019年10月)によると、今後5年間で暮らし向きが「よくなる」との回答が、先進国では悲観的に低く、日本ではわずか15%でした。同時に、将来に希望を持てない若者の割合はわが国が世界一です。
私達日本人が宗教のように信奉していた経済、科学が陰りを見せ始めた今、その反動で社会に希望が持てない状態に陥っているといいます。そのような世界において、誰もがそうだという共感で繋がる社会、最適化社会が必要とされているのではないでしょうか。
「最適化社会」とは、人類の経済活動と大自然とが調和し、適材適所によって生み出された富が社会全体に広く分配されることですべての人が幸せを実感できる社会のことです。
プラトンは、社会の根幹は真善美であり、真や美は善ありきで初めて存在すると述べています。誰もがよいと思える共通善に向かって、社会を見つめ直すときなのではないでしょうか?
これまでの工業化社会・情報化社会、つまりSociety4.0では、人材を会社のある一定の型に当てはめて△の目標に向かって動かすという、個性を除外した効率重視の方法が取られてきました。一方で、Society5.0はAI、テクノロジーの力で個性を活かしたまま最適な組み合わせが可能になり、人間性を尊重した組み合わせで△の目標を実現することが可能な社会へと進化していくのです。
プラトン、そして師匠のソクラテスが対話を重視しているように、AIやテクノロジーの力を活かしつつ、共感に至るための対話のプロセスを重視していくことが大切なのではないでしょうか?
また、Society4.0までの世界では科学、数字から世界全体の真実をとらえて来ましたが、フッサールによると、本来科学とは生活世界の必要性から生まれ、生活世界にその根拠を持つものであるといいます。しかし、科学を世界の客観的真実を写すものとしてのみ捉えた結果、現実感や実感の伴わない生活が生み出されてしまっているのではないでしょうか。
あなたにとって家庭とは?会社とは?地域とは?
人々がモノよりコトをもとめる時代、最適化社会ではそんな個々人の主観を大切にし、人間性を尊重した経営、社会が実現する時代になっていきます。
多様なモノやコトを多様なままで共通善のもとに一つにまとめ、つないでいくことが大切なのです。
一方で、フッサールは、多様性・相対主義に対する警鐘を述べています。
多様性・平等性ばかりが重んじられることにより、必要な意見さえも取り上げられず物事が進展しなくなる可能性があります。結果として、組織やコミュニティとしての成長がなくなってしまうのです。
または、価値観そのものではなく、力の強さで正しさが決まってしまう可能性があります。力が全てを決定することにより、トップダウン型の組織に逆戻りしてしまうことになりかねません。
ただ多様性を推し進めるのではなく、ヘーゲルの言うように、各々の主観をぶつけ合い多様性の中に存在する普遍性へと鍛え上げていく行程を私たちは大切にしていかなければなりません。
有限会社人事労務の特徴と、経営者の責務
有限会社人事労務に集まってくれる人たちは、言うなれば仲間です。どちらかというと不器用な人間がそろっていますが、私ができないことを、他の人が助けてくれています。それぞれの強みを持って、仲間の弱いところを助け合うことで成り立つコミュニティです。
そんな仲間のみなさんが、いかに人生や職場の中で幸せを享受していく環境を整えていくのか。それをコミュニティの中で一番に考え、行動に移す役割が経営者に求められていることだと思います。
ES(従業員満足・社員満足)を重視した人間性尊重経営について
人間と動物の大きな違いについて、知り合いの社長と話したことがあります。動物は過去のことや、ものに対して反応します。例えば犬や猫であれば、過去にエサがもらえた、ほめられたという経験があるから行動をします。人間はそうではありません。人間は、目に見えないビジョンに対して、時には命をかけて行動します。そういった人間性を重視する組織を作っていくというのがESの考え方なのです。
組織をモノや機械のように考えていると、大きな変化の中でうまくいきません。例えばハサミであれば、物を切るという本質がそこにあります。自分の経験や人とのつながり、人生そのものの中から、人間の本質というものをつくり、壊し、またつくるということを繰り返しながら、生きる意味や働く意味を見いだしていくというのが大きな違いではないかと思います。同じように、組織にも本質というものがあるのです。
高度成長期のように、冷蔵庫やクーラーを大量に生産するための機械のような組織というのは時代的にだんだんと難しくなっています。急激なAI化・デジタル化により、会社や業界そのもののありかたにも大きな変化が起きています。一人ひとりの生きる意味を会社の中で大切にしながら、「我々は何をするためにこの場に集まったのか」ということを問い直すという時代になってきているのではないかと思います。そこから生まれてくる組織、社会のありかたを煮詰めていく、見つめなおすというのが、我々の大切な仕事の在り方になってくるのではないかと思います。今までの機械論的な組織から生命論的な組織へと大きく舵を切る時代の中で、弊社も自分たち自身も「何のための組織なのか」ということを問いかけながら進みたいと考えています。
今後の展望について
今までは外部環境が変わらない中で、周年記念のタイミングで新たな人事制度を作ったり、社内規定を変更したり、経営理念を刷新したりしてきました。ある種のイベント的な意味合いで組織を改革するということを行ってきたのです。しかしこれからは、常に外部環境の変容と向き合い、新たな意味付けを考えながら、組織を動かしていく時代なのではないかと思います。
社会情勢がめまぐるしく変化する中、これまで普遍と信じてきたものが崩れていき「では、どう生きていけばよいのか」ということを働く一人ひとりが考え始めている時期に来ています。
会社も常に変化と再生を繰り返しながら、動的並行の中に存在しています。一度作られたから、5年、10年とそのままの状態でうまくいくという話ではありません。
これまでの科学や数学で証明できる範囲は限られており、何を良いと思うのか、幸せと感じるかといった真善美のような無意識の領域が、先の見えない社会の中でさらに複雑化していくと思われます。
そうした様々な場面・局面において「対話」を軸とした体験の場を取り入れることにより、個々が自分の経験・真髄を見つめ直し、互いに共有し合うことにより、共通了解を作り出すプロセスを作り出すことが重要なのです。
AIは人間を抑圧する道具ではありません。AIによって機械的なシステムに組み込まれてしまうのではなく、逆にAIを通して、より幸せに、自由や平等を享受できるような環境を、これから作っていくことが求められているのではないかと思います。